3/11 14:46。
揺れは突然襲ってきた。
それまでの日常は一旦時を止めた。
その後1週間経っても被害状況が掌握できないほどの事態になるとは、その瞬間誰しも思わなかっただろう。
ワタシは当日、都内のオフィスタワーにいた。
帰宅難民というにはおこがましいが、都内から横浜まで8時間ほど歩いた。
道路にはクルマの大渋滞、歩道を埋め尽くす人人人。
多くの同志もやはり家族や自宅が心配だったのであろう。
そして徐々に被害の大きさを知る。
連日の報道。
報道による地震ショック。
個人的にはTVは不安をあおっているだけにしか見えない・聞こえない。
そしてパニックに陥った都内からは、ガソリンと食料が消えた。
こんな中、避難所で寒さと不便さと物資の少なさと戦っている避難者の方々。
必死で救助活動を行なっている方々。
原発の安定化のために放射線と格闘している方々。
日本全土の一日も早い復興を祈っています。
個人でできること。
人それぞれだと思いますが、個人の活動の輪が広がることを信じて。